コラム1 YMO のプリプロダクション〜プログラミングが作曲だった〜 |
コンピューターを大々的にポップ・ミュージックに導入した YMO。そのスタジオ・ワークは、楽譜を書き、練習をして、ス タジオでレコーディングを行なう、というそれまでのプリプロ 作業を一変させた。 レコーディングの第一段階として、コンピューターで曲のテ ンポを決定する。シーケンサを使う上で頭の中のイメージを具 体化する最重要の作業となる。次に曲のイメージを、コード進 行などの音楽的要素で表現するだけでなく「どんな音でも作れ る」シンセサイザーでイメージ通りのサウンドを作り上げる。 もちろん、時にはノイズも使われ、その積み重ねにより打ち込 み作業が進められ、それは同時に作曲、アレンジ、そしてレコ ーディングをも兼ねていた。 すなわち、それまでの「楽譜が書ける/読める」「演奏技術 の修得に肉体的訓練を行なう」という「音楽」の常識を一蹴し、 「イメージ」を最大の重要項目とすることで、プリプロ(デモ・ テープ作り〜音作り〜作曲)とレコーディングがすべて同時に 行なわれる「プログラミング=作曲」という図式を作り上げた。 シンセによる多彩な音作りの魅力は初期のライブでも発揮さ れ、ライブの度に毎回変えられる音色の違いにより、1度とし て同じ演奏がない。そのため、「ライブ・バージョン違い」と いった、同じ曲でアレンジが一緒であって、公演日の違いによ ってYMOの演奏は十分に楽しめた。 |
コラム2 ヘッドホンの中は火事場の騒ぎ〜MIDIのない同期システムとは?〜 |
YMOが活動した期間(再生時をのぞく)は、まだMIDIという 規格が誕生していなかった。では、シーケンス・システムはど うなっていたのだろうか? 松武秀樹が使用していたローランドのシーケンサMC-8は、 「CVゲート」と呼ばれる鍵盤コントロールの電圧信号とゲー ト信号によりシンセを制御する方法でシンセサイザーを自動演 奏させていた。いわばMIDIの原形であるが、すべてのシンセが このCVゲートに対応していたわけではなく、初期のライブでは MoogIII-CをMC-8で鳴らしていた。 シーケンス・データは、カセット・テープにメモリーできた のだが、MC-8本体へは、テクノポリスで約3分30秒、ライデ ィーンで約5分という長い時間がかかり、しかも単純なピコピ コというデータであるにもかかわらず1曲分のデータしか本体 に取り込めなかった。そのため、ステージでは2台のMC-8を 用意し、1台で演奏しながら、同時にもう1台のMC-8に次の 曲のデータをロードする、という信じられないようなギリギリ の作業をしていた。さらに開発メーカーであるローランドもラ イブでの使用は想定しておらず、ステージ上の悪条件でのシー ケンス・トラブルは絶えなかった。 '79年ボトムライン公演の「BEHIND THE MASK」では、演 奏直前にMC-8により演奏されるべきシーケンス・フレーズが、 MC-8の暴走により1曲分を「ピピピ」と2秒ほどで一気に演 奏されてしまい、結局シーケンスなしの演奏が行なわれる。ス テージ上のライトによる発熱や不安定な電源事情、さらに静電 気など、当時のハードウエアはまだまだ弱い部分をかかえてお り(しかもそれがシーケンサなのだ)、そのような点からもま さに修羅場をくぐり抜け、一方でまだまだミュージシャンとし てのテクニック要素が大きかったツアーであった。しかし、こ の経験がメーカーにもフィードバックされることで、後継機種 MC-4、さらにMIDI規格、現在のシーケンス・システムへと、 音楽とテクノロジーがともに発展していく礎となっている。 シーケンサと演奏を合わせるためのクリック(メトロノーム) を聴くと同時に、シンセのライン出力をモニターするために必 要不可欠であったヘッドホンをしながらの演奏は、結果的にフ ァッションとしても取り入れられた。YMO独特のヘッドセット・ マイクは、スタッフによりビクターのヘッドホンにシュアーの マイクを手作りで取付けたもので、1次ツアー帰国公演より採 用された。各メンバーの手元には、モニターとクリックのバラ ンスを調整するスイッチの付いた「キュー・ボックス」と呼ば れる銀色の小型機材が置かれた。これもスタッフの手によるオ リジナルだ。 |