YMOの遺産
コラム


★ライブバンド・YMOの魅力を探る★


コラム1

YMO のプリプロダクション

〜プログラミングが作曲だった〜





 コンピューターを大々的にポップ・ミュージックに導入した

YMO。そのスタジオ・ワークは、楽譜を書き、練習をして、ス

タジオでレコーディングを行なう、というそれまでのプリプロ

作業を一変させた。



 レコーディングの第一段階として、コンピューターで曲のテ

ンポを決定する。シーケンサを使う上で頭の中のイメージを具

体化する最重要の作業となる。次に曲のイメージを、コード進

行などの音楽的要素で表現するだけでなく「どんな音でも作れ

る」シンセサイザーでイメージ通りのサウンドを作り上げる。

もちろん、時にはノイズも使われ、その積み重ねにより打ち込

み作業が進められ、それは同時に作曲、アレンジ、そしてレコ

ーディングをも兼ねていた。



 すなわち、それまでの「楽譜が書ける/読める」「演奏技術

の修得に肉体的訓練を行なう」という「音楽」の常識を一蹴し、

「イメージ」を最大の重要項目とすることで、プリプロ(デモ・

テープ作り〜音作り〜作曲)とレコーディングがすべて同時に

行なわれる「プログラミング=作曲」という図式を作り上げた。



 シンセによる多彩な音作りの魅力は初期のライブでも発揮さ

れ、ライブの度に毎回変えられる音色の違いにより、1度とし

て同じ演奏がない。そのため、「ライブ・バージョン違い」と

いった、同じ曲でアレンジが一緒であって、公演日の違いによ

ってYMOの演奏は十分に楽しめた。




コラム2

ヘッドホンの中は火事場の騒ぎ

〜MIDIのない同期システムとは?〜





 YMOが活動した期間(再生時をのぞく)は、まだMIDIという

規格が誕生していなかった。では、シーケンス・システムはど

うなっていたのだろうか?



 松武秀樹が使用していたローランドのシーケンサMC-8は、

「CVゲート」と呼ばれる鍵盤コントロールの電圧信号とゲー

ト信号によりシンセを制御する方法でシンセサイザーを自動演

奏させていた。いわばMIDIの原形であるが、すべてのシンセが

このCVゲートに対応していたわけではなく、初期のライブでは

MoogIII-CをMC-8で鳴らしていた。



 シーケンス・データは、カセット・テープにメモリーできた

のだが、MC-8本体へは、テクノポリスで約3分30秒、ライデ

ィーンで約5分という長い時間がかかり、しかも単純なピコピ

コというデータであるにもかかわらず1曲分のデータしか本体

に取り込めなかった。そのため、ステージでは2台のMC-8を

用意し、1台で演奏しながら、同時にもう1台のMC-8に次の

曲のデータをロードする、という信じられないようなギリギリ

の作業をしていた。さらに開発メーカーであるローランドもラ

イブでの使用は想定しておらず、ステージ上の悪条件でのシー

ケンス・トラブルは絶えなかった。



 '79年ボトムライン公演の「BEHIND THE MASK」では、演

奏直前にMC-8により演奏されるべきシーケンス・フレーズが、

MC-8の暴走により1曲分を「ピピピ」と2秒ほどで一気に演

奏されてしまい、結局シーケンスなしの演奏が行なわれる。ス

テージ上のライトによる発熱や不安定な電源事情、さらに静電

気など、当時のハードウエアはまだまだ弱い部分をかかえてお

り(しかもそれがシーケンサなのだ)、そのような点からもま

さに修羅場をくぐり抜け、一方でまだまだミュージシャンとし

てのテクニック要素が大きかったツアーであった。しかし、こ

の経験がメーカーにもフィードバックされることで、後継機種

MC-4、さらにMIDI規格、現在のシーケンス・システムへと、

音楽とテクノロジーがともに発展していく礎となっている。



 シーケンサと演奏を合わせるためのクリック(メトロノーム)

を聴くと同時に、シンセのライン出力をモニターするために必

要不可欠であったヘッドホンをしながらの演奏は、結果的にフ

ァッションとしても取り入れられた。YMO独特のヘッドセット・

マイクは、スタッフによりビクターのヘッドホンにシュアーの

マイクを手作りで取付けたもので、1次ツアー帰国公演より採

用された。各メンバーの手元には、モニターとクリックのバラ

ンスを調整するスイッチの付いた「キュー・ボックス」と呼ば

れる銀色の小型機材が置かれた。これもスタッフの手によるオ

リジナルだ。



YMOの遺産INDEX