YMOの遺産
1983
YMO JAPAN TOUR
★「ONE MORE YMO」全曲解説★
※文中の『』内の記述は、すべて高橋幸宏氏によるライナー解説文からの引用です。
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全国7都市10公演おこなわれたYMO最後のツアーである、通称 『散開コンサート』は、演説台を思わせる上下する各ブース、YMO 帝国の崩壊をイメージさせる舞台装置など、さまざまな演出を加え たショー/パフォーマンス的な要素が多いものだった。 YMOが"巨大モンスター"となり、本人たちですらコントロール不 可能な状況を打破するために、あえて選んだ方向が「歌謡曲」であ り、その結果として『散開コンサートはだからほとんどメンバーは ノータッチで、"今は自分たちでコントロールしているYMOじゃない" って気持が完全にあった』『本当にシステマティックな、コントロ ールが完璧になされていて、演出も決まっていて、しかも初めてっ ていうぐらい自分達の演出じゃない』というコンサートだった。 舞台装置は妹尾河童が担当し、後にこのツアーのライブ映画「PRO- PAGANDA」の監督をした佐藤信が演出を手掛ける。反面、大げさ なステージ・セットや仰々しいコスチュームも『わりと気軽にやっ てた』という。YMOとして初めて松本隆に作詞を依頼し、「おじさ んアイドル」として歌った「君に胸キュン」のヒットにより、観客 層も若干変化していく。相変わらず一言のMCもなく、淡々と演奏が 終了すると、YMOの扉が閉められた。 |
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演奏ではテープが多用され、演奏もメロディーがテープ、バッキ ングやソロ的な部分が手弾きというように「レコードを忠実に再現 しながら、ライブ的要素を盛り込む」といった手法が取られた。 『3人とも自分の世界で、手数少なくして楽にやりたい』という 意識だったようだ。シンセ・サウンドも極端にエグイものはなく、 淡々と演奏がこなされていった。 高橋は『歌なら歌に集中してみたい』ということで、大半の曲で ドラムを叩かず、当時英国の人気ポップ・バンド「ABC」のドラマ ーであったデビット・パーマーがサポート・メンバーとして加わっ た。そのデジタル的なジャストなドラミングは驚異的だ。高橋のわ ずかに前ノリのドラムと比較するのも面白い。 ドラムは、SIMMONSのSDS-5(サウンドはLINN DRUMとミック ス)が使われ、シンバル以外の楽器はまったく生音がなく、すべて ライン・アウトから音が出されるという珍しいライブだった。 |
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YMO名義を除く、細野と坂本の唯一の共作曲。坂本教授の弾く印 象的メロディーが、曲のイメージの大半を作り上げている。『非常 に細野さん的世界で、歌詞の感じも、イメージも好き』というこの 曲は、ゆったり流れる曲のバックで16分音符のシーケンス・フレー ズが鳴り続けている。これは『ツイン・リバーブの中にTR-808の 音をぶっこんでいるんですけどね。それにディレイをかけている』。 この手法で独特のサウンドとなり、『今作れって言われたら、作れ ないだろうな』という空気感を持っている。 オリジナルでは、オモチャのドラムがサンプリングして使われ、 『猿が叩いていそうなこんなちっちゃいやつで、…(中略)…いい 音だな。これ録ってみようか、って』という、あらゆる音を貪欲な 姿勢で楽曲に取り入れていた。 この曲は、当時テレビ出演時にもよく演奏され(「ドレミファド ン!」というクイズ番組にも登場した!)、あの「夜のヒットスタ ジオ」では、蝶ネクタイ姿で、坂本がグランド・ピアノ、細野がウ ッド・ベース、高橋が生ドラムをワイヤーブラッシで叩く、という YMO究極のアコースティック演奏の演出が行なわれた(残念ながら、 完全な生演奏ではなかったが、実際にこのスタイルが最も似合う楽 曲だ)。 |